花の雨が降った

日記

知らないうちに桜が満開になっている。雨よ降るなと祈るばかり。散るのなら、天気のいい日にひとつの花も残さずになくなってしまえ。明日はお花見に行くよ。

誕生日占いってさ、

誕生日占いを今まで散々バカにしてきた私なのだけど、最近ふと思ったのは、意外といつの時期に生まれたのかって性格を左右するんじゃないかってこと。

例えば1月に生まれたのならば、両親はそのだいたい10か月前くらいにえっちしてるわけで。4月くらいかな。知らんけど。4月は出会いと別れで世間がソワソワする時期。だんだん暖かくなって気分が浮つく。三寒四温でメンタルがやられる人も、花粉に苦しむ人も。

そういう時にやる両親の遺伝子を1月生まれは受け継いでる可能性があってもおかしくない。2月から12月生まれも同様に、その時期にやろうと思う両親の性格になにかしら影響を受けるはず。

性格や価値観って、子供の場合は多くは親を見て育むものだろうから、そう思うと、両親の生まれ月も関係ある可能性もあるんじゃないか?何月生まれと何月生まれは相性が良く、何月にやりがちで、その人たちがその子供を教育すると、〇〇のような性格になる、みたいな繋がり。

……ここまで考えて、さて、1月生まれの性格ってどんなかなと検索する。すると、なんとまあたくさんの性格が羅列されていることか。

あのな、数打ちゃ当たるを体現しすぎだよ。そんなに性格あったら1個くらい当てはまるに決まってるだろ。人間の数より言葉の数の方が少ないんだからさ。

やっぱり占いなんて嘘だ。

三寒四温

三寒四温の三寒がうざい。ヒートテック着てくかどうかの判断が難しい。かといってうららかな四温が好きかと言うと、曇りの方が過ごしやすい、と天邪鬼なことを思う。

ヨルシカのライブに行った。晴れた午後だったから、グッズを買い終わったあと、ホール外のベンチで池を眺めながらのんびりコンビニ飯を食い、小説を読んでいた。とてもチルかった。こういう瞬間に私は幸せだと思うんだなぁと思う。老人くさくていけないが、いつまでもそういう生活ができることが、わりと次なる人生の到達点なのかもしれない。

ライブは言うまでもなくよかった。物語として美しい。

帰りは人の波に揉まれて、市営バス停を見つけられず、東京駅までのシャトルバスに乗った。当日券1000円というなかなかいいお値段で、やっぱいいです、と舌の先まで出かかった。街も暗いし、まだあるかわからない市営バス停を探すより安心はあったが、市営バスで行けば210円だし、早く着く。

ラバーバンドやTシャツはどれだけ高くても喜んで出すのに、自分の交通費はぼったくられたと感じる。まあこれもライブの費用みたいなものか、と思うことで自分を納得させた。

毛繕い

会話には段階があるらしく、うまい店とか天気とかの世間話はサルの社会での“毛づくろい”的な「私はあなたの味方ですしあなたに興味があります」というメッセージであって、これをクリアした先に俺がしたい「あなたはどんな人間なのか、人間とはなにか」みたいな話にたどり着けないことに最近気づいた。

だから前者の世間話をする段階で後者の“会話”をやろうとするのは、なんというか「俺は本質的な話がしたいんだ」とか言って相手のサルを駆虫剤のプールに突き落とすような行為なのだと思う。

(Twitter 自称Xより)

なんとなく思っているけど、明確に言語化できなかったことを言葉にしてもらったような気がして深く共感した。関係値が築けてない人から本質について詰め寄られると、私の心という神聖な場所に土足で踏み入られるような不快感を感じる。「お前が」入ってくんじゃねー。

一度順番を間違えると、危険な気がして心を閉ざしてしまう気がする。私も気を付けないと、と思う。

私は基本的に他人をなめているから、こういう皮肉も言う。どうせ見てないと思うけれど。

人生はガチ勢の方が楽しい

とうとう終活、間違えた、就活の時期がやって来た。私の数倍意識の高い友達が、大学の就職課に連れて行ってくれたので、いろいろと貴重な資料や、就活カレンダーを手に入れることができた。

就職活動は大学受験に似ているけど、全然違う。選ぶべきパラメータやら、選択肢の数が明らかに多い。自分と全く同じ進路の人なんていないし、他人の進路を参考にしてなぞるだけでは駄目。

急に砂漠に放り出されて、一年後にはどこかのオアシスにたどり着いていないといけませんよ、と言われているかのよう。どのオアシスの水なら私の口に合うのか、そもそもどっちに歩けばオアシスがあるのか、他の人は今どのあたりを歩いているのか、さっぱりわからない。

大学受験の時、手厚くサポートしてくれて、私がすることと言えば、勉強勉強また勉強のみという環境を整えてくれた塾の先生って本当にありがたくて偉大な存在だったんだな、と思うと同時に、私って塾がないとなんにもできないやつだったんだな、と思い知ることになった。

今、私は、意識の高い友達のことを、大学生らしい遊びもしない社畜予備軍みたいにほんの少しの冷笑をこめて見ているのは否定できない。私はこれを変えたい。だって私も当事者だから。これじゃ、大学受験にガチにならずに高校で適当に遊び、まあまあな大学に行った人たちとおんなじだ。いや、そういう人たちを馬鹿にしているわけじゃない。私は高校のころ勉強ガチ勢だったけれど、同時に、遊びのガチ勢でもあったから。勉強にガチになるには、息抜きもガチでやらないとやっていられない。限られた時間を惜しむようにJKの時間を一秒も無駄にするもんかとまで思いながら遊んでた。ちゃんと狂っていた。

ガチになったほうが、絶対面白い。だから早く就活ガチ勢になりたい。

根性、洗脳、睡眠不足、全部やりたい。まだ狂気が足らない。大人になる恐怖や、働きたくない不安は、狂気以外では吹き飛ばせない。吹き飛んじまえ!!

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