続きはどうするんだよ

日記

掃除をしなくちゃならない。買い物にもいかないとならない。でも、今日が終わる前にいちおう記事はだしておきたいので、書いてる。サムネはこれから作る。

久しぶりの再会

大学の友達で、夏ごろから今まで休学していた子が、昨日ふらっと大学の食堂にやってきた。聞けば、夏の間は一か月ほどインターンシップに参加し、AO入試かなんかで美術大学を受験し、受かったらしい。美術大学なんて、「ブルーピリオド」って漫画からしか情報がないもんだから、全然感覚がわからなくて、でも嬉しそうにしているので良かった。

特にやりたいわけでもないプログラミングは経済予測を日夜やってる身にしては、その行動力と、気力が少し羨ましく、眩しい。よっぽど将来のことを考えている。人生全体で見たときの幸福度の話。若いころあれをやっておけばよかったな、というのは、たぶん老いてからわかるんだろう。今の私の生活は、おそらく後悔の種になりうるが、別にしたいことも浮かばない。

美大行ったら人生変わりそうだなと思った。彼女が新しい学校で楽しいキャンパスライフを送ることを本気で祈ってる。まったくの他人なのに応援したくなるんだ。相当輝いて見えたよ。

移動距離こそが

Twitterではっとした言葉を書く。おいおいまたTwitterかよスマホ依存症が、と思われるかもしれないけど、実際そうだから否定できない。

移動距離こそが視野の広さ。

数日前私は、風呂に入ると新たなアイデアが生まれやすいと発見して喜んでいたけれど、この言葉も、要は同じことを言っているのかもしれない。普段と別のことをしてみなさい。常に新しくいなさい、とこういうことなのかもしれない。

最近の私はちょっと苔の生えた石状態だから、少しは転がったほうがいいのかもしれない、と思うようになった。

私の友達が週一3時間でバイトを始めたことを誇らしげに報告してきた。あんたは金持ちのお嬢さんで、小遣い一杯もらってんだから働く必要ないだろ、労働ごっこなんだったら、ほんとに金が欲しいから働いてるやつに失礼じゃないのかよと思いながらその報告を聞いていたんだけど、彼女が自慢したかったのは、社会の歯車として労働体験をしていることではなく、新たなことに取り組んでいるということだったのかもしれない。

たしかに、転がる石は、苔むした石を馬鹿にする権利がある。

刺さる言葉

だれがつぶやいたんだか忘れたけれど、心に刺さる言葉というのがある。そういうのを拾うのって、多くはTwitterとか、電車の中で盗み聞く雑談、小説の一行、映画のワンフレーズだ。今日のタイトルだってそう。

私はそういう言葉を拾い集めてはアイフォンのメモ帳に溜めているんだけど(変な収集癖)、いつかそういうコーナーを作って発表しようかな。それとも、私の中で、そのメモ帳の中で、その言葉が発酵するのを待ってから芸術に昇華して発表しようかな。

好きな場所

久しぶりに水族館に行った。水族館の雰囲気は好き。まあ、「海底」ってサイトをやってる時点でそれはそうか。

海が好き。海のない地域に生まれたからかな。湖でもいいんだけど、大きな水の塊を見ると、とても嬉しい。

青、水、薄暗い所で光る魚、水面、透明。都会の水族館はやっぱり静けさは少々足らない気もするけど、でも好き。美術館も好き。いくつかの好きな要素を満たしている。

こういうわけで海底や書店、図書館、家、映画館も私の好きな要素をいくつか満たしている。

水族館は好きな場所だし、近くにたくさんあるんだから行けばいいものを、行けないのはなんでだろうな、と考えたら、たぶんあの人のせいなのかな。彼に悪いな、という気持ちが一瞬でも出る時点で負けている。呪ったはずなのに、花に呪われてるのは私なのかよ。ヴィランみたい。最低だなあと人並みに落ち込む。まじかっこわるくて痛い。

そういうことを考えていたから相当愛想が無かった自覚はある。「人見知り?」「知らない人と話すの苦手?」と言われたのはマジで地雷だったけど、まあ、ダルいけどそういうことにしておいたほうが楽でいいか、と思ったので、そういうことにしておこう。水族館が好きだから来てんのであって、彼以外と会話するために来てない。

一人でサメとか見た。青くてとてもよかった。

小説という表現について

小説じゃなくても別に良かった。私にもし音楽の才能があればそっちを使っただろうし、絵が上手ければ絵、映像なら動画や映画、ワードセンスなら詞や俳句とか作ったかもしれない。プログラミングできたらゲームでも構わない。

最近、人に見られている自覚を持たないとな、と思い始めている。ありがたいことにこのサイトも、小説投稿も微妙に他人の目に触れる機会が増えている気がする。

やだなあと思う。嫌なら載せんなと言われるかもしれないけど、本当にそれはそのとおり。そのとおりではあるんだけど、載せることで得られるメリットもそれなりにあって、まず、データがちょっとやそっとの事ではどこかにいかず、章ごとにまとめられて見やすいフォーマットで長期間保存できる。ネット上のデータなら、パソコンの容量も食わない。見せたい人にはリンクを張るだけで簡単に共有もできる。普通に送ったらパケ代がすさまじいからね。

別にみられているからってスタイルは変えないよ。他人のために作ってんじゃないからね。私は自分の自己満足のためにすべての創作物を作っている。

それを忘れないようにしていきたい。尖り上等。とにかく創れ、私。

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