日記! 7/11

日記

最近はどうも暑い。35℃とかイカれてる。湿気が多くてつらい。

暑さに体を慣らす訓練だとか、暑くても動ける強い体を作るのだとかほざいて、無理して暑い中にいても、人間は暑さに本質的に慣れることはないらしいとどこかで聞いたことがある。ほんとか嘘かなんか知らないけど、外に出るとかなり命の危険を感じるのは確かなので、私は信じたいものを信じていこうと思う。暑かったらケチケチ我慢せずエアコンをつける!まだ死にたくはないからね。

今日は特に書くことないので、最近あったことの日記でも書いていこうと思う。

最近、急にレモネードが飲みたくなってカルディに行って、レモネードの原液を買ってきた。キンキンに冷えたレモネードはおいしい!飲み物を入れるグラスもこだわりたい欲求が芽生え始めて、ここ数週間でいくつかグラスを買った。透明なガラスを見てるのが好き。飲み物によってグラスを変えるのは、毎回飲み物を飲むたびにすごくおしゃれな気分になって良い。グラスを選んでるとき、店の棚の前でしゃがみ込んでいると、本当にきれいで、いつまでもどれを買うか迷ってしまう。色のついたガラスもいいけれど、やっぱり結局透明なグラスばかり買っている。どんな色の飲み物にも合うからね。透明なのが十分に増えたら、その後は色付きのグラスも買ってみるかも。

Twitterを見てると、よく育児の愚痴ツイートが流れてくる。夫が妻の苦しみをわからずに、思いやりの欠けた言動をするとか、妻が夫に理不尽なことを言うとか。で、そのスレッドを開くと、「私のパートナーもそうです!嫌ですよね」とか、「それはあんたにも原因があるんじゃないの」とか書き込まれてて、大体ツイートした本人が激しく同意したり、反対意見に興奮して噛みついたりしている。

いや、苦労はわかる。でも、まず、どうでもいい!勝手にやってくれ!と私は思ってしまう。Twitterに書き込む前に自分の妻に、夫に、家族に高等で愚痴ってみたら?Twitterだったらずっと残るよ。まあ、そんなこと言っちゃう私は、仲のいいすばらしい両親の元に恵まれてるのかもしれないな。

Twitterで愚痴りたい人が単純に増えているのか、それとも、ステルスマーケティングの何か不思議な力が働いているのか、はたまた世間の流れか何かなのか、とにかくそういうツイートをよく見る。なんだ?少子高齢化を加速させたいのか?そういう愚痴ばかりに触れてる私みたいな若者は、育児についてのイメージがもう最悪レベルに達しつつある。やったこともないのに、辛いことだけはわかるんだもん。もともと私が子供を好きじゃないのもあるけど、そういうツイートを見ると、「愚痴らなきゃやってらんないような、育児という逃げられない無制限な恐ろしい労働」をする側には絶対なりたくないと思ってしまう。育児の辛さを知らない事で、自分が思いやりのない言葉を無意識に発して誰かを傷つけてしまうことも、もちろんすごく怖いんだけど、その発言をしてしまう恐怖を補って余りある、「私は、その無意識によって傷つけられたくない」という気持ち。やってしまうことより、やられてしまうことが怖い。子育てでこっちは必死なのに、子育てしたことない奴からいい加減な言葉をもらったら病む。傷つけられたことによって、今さんざん嫌っているTwitterで愚痴る人に、私自身もなっちゃうかもしれない。負の連鎖すぎる。

私は他の多くの人と同様、自分のことが一番かわいくて、我が身の保身が最優先事項だ。(そもそもこんなやつは子育てに向いてない)

で、少し話が変わりまして、同じくTwitterで見かけたことだけど、一円玉のお賽銭について、寺が「一円玉を銀行入金するときに一円以上費用が掛かるからお賽銭が無駄になる。一円玉は遠慮してくれ」みたいなことを言ったらしく、話題になっていた。めっちゃ笑った。そういうメタ発言みたいなのやっちゃうんだ、宗教人。寺に来る人たちはみんな、寺のスタッフのために賽銭投げてんじゃねえんだよ。あんたらが信じて仕えてる神だか仏だかを、参拝客も同じように信じて、それにお金をあげてるの。コラボカフェに行ったのに、そこの店員によって世界観を壊された時みたいな虚無を感じた。客と店が世界観を共有して、お互いにその中でふさわしく振舞うことで、そういうサービスが成り立つんじゃないのかな。そう思うと、世界中の人間は、自分に与えられた役や立場に従って、毎日真面目な顔でなりきりを演じているんだなと思った。家ではお母さん、職場では頼れる上司、友達の前では漫画オタク、両親の前ではだらしない娘とか。世界おもしろ。

駅の自動改札の「ICのみ」って表示を、最近まで本気で「インターチェンジのみ」つまり、乗り換えの人はこっちを通ってね、という意味かと思っていた。乗り換えの時はそのレーンを通って、その駅が最終目的地の時は普通のところから出るのかなって。その駅で降りてまた別の列車に乗る場合と、乗り換えという意味で改札を抜けるのとでは運賃に違いがあるのかと思って、乗り換えのときはできるだけそこを通るようにしてた。全然違ったわ。「ICカードのみ」でした。Integrated Circuit、微細な集積回路、PASMOとかsuicaだけですよ、という意味でした。友達に聞いたら、「ICのみのところは、紙の切符入れる穴が無いだろうから、次通る時は注意して見てごらん」と優しく言われて、恥ずかしくて悶えそうになりました。あの、まあ、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥というじゃないですか……。

最近、休みの日とかに外に出るのが億劫になって、たまに外に出たときについつい食料とか、トイレットペーパーとか洗剤とかを買いだめしてる。思うのは、「必要になってから買う」という買い物の姿勢って、実はかなり豊かなんじゃないかってこと。買いだめをしていると、常に自室に物があって、部屋に物がないよりも豊かなような気もするんだけど、買いだめをすると、部屋や棚の容量は圧迫されて汚れるし、食料の場合、結局食べずに悪くなるとか、部屋が汚くなる要因が増える。家具とか服もそうだけど、最小限で暮らしてると部屋はすっきり片付いて、QOLは高いと思う。海外とかの邸宅で、リビングがシンプルで物が少ないのを想像すると、なんとなくわかってもらえるのかな。私に関しては、食べ物を常に冷蔵庫に入れておき始めてから、食べる物が偏ったり、あんまり気分じゃないけど昨日の残りを消費しなきゃとか思って食べたりして、あんまり食事の楽しさがなくなったような気がするな。まあ、毎日その日暮らしみたいに、お腹が空いてからスーパーにふらふら食べ物を探しに行くのも不健全といえば不健全なんだけど、「食べたい」という気持ちがあって、部屋から出ているという点は評価できると思う。精神的に豊かで幸せな生活がしたいなあ。

徒然に書いていたら、しょうもない雑談みたいな駄文がこんなに長くなってしまった。ここまで読んでくれてありがとう。

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