小説書いたりとか

日記

ミステリアスと言われるとカチンと来る。てめぇに見せたいもんなんかねぇよ。

直近3日間の近況

学校というものに行っていると、それだけで自分のために使える時間も体力も拘束される。

先月に比べて多くの人間と話しすぎて温度差で風邪をひかないか、自分で自分が心配。

昨晩(今日の早朝?)までカラオケオールをしたせいで、昼夜逆転が起こった。喉が死んだ。

小説を書いてる。どうして執筆のためにたっぷり時間をかけられる暇な時にはアイデアが浮かばなくて、他の予定が詰まって忙しくなった時に書きたいものが浮かんでくるんだろう。休みの日が欲しい。休みの日にスマホをいじらなくていいくらいスマホに飽きたい。

酒が飲みたい。(家では全く飲んでいない)。不安とかやらなきゃいけない追われてること全てをモザイクでぼやかしたい。誰かに話をしたいような、してはいけないような気がしている。

ずっとソワソワしている。早く楽になりたい。

閲覧数について

ブログの管理者画面を見ると、記事ごとに1日何回表示されたかがわかるようになっているんだけど、この『海底』の、特に日記という区分の記事について、どの記事もだいたい同じくらいの閲覧数がついている。

ということはある一定の数の人間が定期的にこの日記を読むためにクリックしてるということだ。

わざわざパスワードを入れないと見れない、めんどくさい仕様にしていて、さらにパスワードを突破した後に出てくる文章が内容スカスカな独り言なので、見たいと思うやつはかなり様子がおかしいと思う。

でもまあそれは、私が記事を書いている本人自身だからなのかもしれない。私はこの文章にさほど価値を感じていないし、ただの習慣として投稿しているだけだが、まったく立場の違う人間からしてみれば、私の平凡な日常でも、珍しく、刺激的で、観察したいと思えるものなのかもしれない。

私だって、マグロ漁船に乗った人の毎日ルーティンのブログあったらちょっと気になるし、全く行ったことのない外国の大学生の日記なら読んでみたい(私の読める言語で)。

私は型にはまったまともで普通な人よりは、常軌を逸したイカれた人の方が好きなので、同じものを見ても、全く違う所見を述べる人の考え方には興味がある。

私がここで言うイカれた人っていうのは、注釈しておくと、人を殺すのが楽しいとか、電車の中でつい大声を出してしまうといった、社会生活からはみ出してるやつのことを言ってるんじゃなくて、私には理解できないけどあるものが病気的に好きとか、私が全く思いもよらないような人生の経験を積んできて、私の使った事のないワードセンスを持つとか、変な習い事を何年やってるとか、誰にも理解できないけど続けてる習慣かあるとか、そういう人。一言でまとめるなら、要は、平凡な私と違う人。

イカれた人はちょっとキモいけど、観察していてとても面白い。ちょっと離れたところで永遠に見てたい。

その人に平凡な所があってもいい。全部違ったら、共通点が一個もなかったらさすがに共感できない。おおむね平凡で、社会生活をしているけど、どこかが決定的におかしいと良い。

このブログを面白がって読んでる人がいたら、あなたは私の変さが好きなんだと思うし、私もあなたの変さが好きだと思う。知らんけど。

ゴールデンウィーク…?

は?ゴールデンウィークが10日あるやつとかいる?いねえよなあ!

5月の連休が終わったら、次にまとまって休めるのは7月以降になるんだろうか。100日くらいなら頑張れそうな気もするし、もっと休みが欲しいような気もする。

若いんだからもっと働けと思われるかもしれないけど、私の理想の生活は丁寧な暮らしをする田舎の隠居老人以外の何物でもないので、言わせて欲しい。

隠居生活はたぶん、隠居するまでに培った、もう増えることの無い経験やら人間関係を一つ一つ消費していくことだと思う。つまり、隠居生活を豊かにするのは、隠居するまでの時間。

つまり、今だ。隠居生活を豊かにするために今は頑張ろうと思うよ。

くだらない話

小学生の頃って、右手(左利きの人は左手)の小指の下の手のひらの側面が、鉛筆の炭で汚れていればいるほど、勉強している、と褒められた。

結果(成績)じゃなくて過程(頑張り度合い)で評価してもらえるなんて、なんていい時代だ、と思い出すかもしれないけど、よく考えてみると、勉強をして、そこが汚れるのって、国語の勉強をした時だけじゃないか?

国語は右から左に文章を書くし、漢字練習もそうだ。でも、算数とか、計算は左から右に書くんだから、そこは汚れない。

ひょっとして、炭で手が汚れていることを褒めてくれていたのって、国語の先生だけだったのか?算数じゃ汚れないんだから、算数の先生は手の汚れでは評価しない。

文系は過程で評価しがちで、理系は結果で評価しがち?

ごめん、飛躍しすぎた。そもそも小学校って、国語と算数で教科担任とかいなくて、全部一人の先生が教えてたしね。でもさ、そういう指導をした先生がいたってことはさ、その先生は算数のことは考えてなかったということは確かで。

あー、前時代的だけど、理系文系戦争始まっちゃうな。

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