夏は子供を大人に、大人を子供にするらしい

日記

ネットのドライで冷笑的な文化が割と好き。キッズが多ければ多いほど香ばしくてそれもまた良い。

最近完成した小説について

昨日、一番新しい小説が完成し、各種サイトにアップした。あんまり推敲はしてない。

私にとってサイトにアップするのは、倉庫に荷物を保管しておくということに近い。自分の手元だけにデータを持っておくより、公的なサイトにデータがいくつかあった方が安心。

今回のテーマは、ドロステ効果。オランダかどこかで売ってたドロスで・ココアの缶に描かれていたイラストが、修道女の持っている缶の中にもまた同じ修道女の絵が描いてあり、永遠に小さくなりながら続いていく。終わりがない連続の中のたった一部。

あと、今自分が生きていると思っているこの世界が、全くの作り物だった、または、実態のない夢の中だったら、という空想も入っています。インセプションとか、トゥルーマン・ショーとか、バニラ・スカイみたいな、世界を俯瞰した視点で何か書いてみたかった。

この世界が夢だとしたら、この人生に意味を見い出せるか?という想像です。

私自身は特に人生に意味を求めてはいないかも。アメーバはきっと自分が何のために生きてるかなんて考えてないよね。ただ、生まれたから生きてる。こんなこと考えてるのは人間だけだよ。

たとえ私に意味がなくても、世界には美しいものがたくさんあって、ただそれを見てたいだけ。こんなに美しいものを見れるなんて、生まれてきてラッキー、みたいなマインドで暮らしている。

好きな食べ物はなんですか

他人とご飯に行く時、好きな食べ物は?と聞かれる事があるんだけど、毎回困る。私にはその質問をされるシチュエーションに適した返答を持ってない。

好きな食べ物が全く無いわけじゃない。じゃがいもとか、ヨーグルトとか、コーヒー牛乳とか、おでんとか、ポカリとか、クリームソーダとかは好き。

でもその文脈において、そんなことは聞いてねぇんだよと思われてしまう。

カレーって答えるか?カレーなら好きでも嫌いでもないしどこにでも売ってそう。でも、本格インドカレーはそこまで好きじゃないし、スパイスが辛すぎるかも。白い服着てたらこぼすかもしれない。

ならパスタは?いつも食べまくっているせいで、あまり外食してる感がない。あと、フォークに巻き付けるのが下手で上品に見えない。

なら焼き鳥?別に嫌いじゃないけど、焼き鳥屋行きたい!って言ったら酒好きのイメージになるか?相手があんまり酒飲みじゃなかった時に気を使わせそう。

こういう時いつも「これが好き!」と言えるテンプレートを用意したいと思うんだけど、何がいいのかなぁ。

レインボー

心理学の授業をとっていて、自分の一生について人生設計をして、それをグループで発表しあいましょう、という授業があった。ライフキャリア・レインボーという、虹の形になってる図の中に書き込むタイプのものだった。

私は大学を卒業したあとは、はい子供の時間は終わりです。これから40年の懲役です。しっかり働いて国民として、社会人として働きやがれ。と言われ、毎日のおよそ半分の時間を楽しくない労働に注ぎ込み、残りの半分で、また明日楽しくないことをするための元気を養う、そういう人生になるんかなと想像していた。(だからこんなに大人になることが恐怖なんだ)

しかし、他の人の発表を見てみるとどうやらみんなの見ている未来は私と違うようだと気づけた。

グループの私以外の全員が、子供はいつ頃産んで、子供が育ったあとはこういう風に過ごして、親の介護はこの時期くらいからやって、みたいに、子供の存在をあまりにも当然のように仮定して想像しているのに驚いた。別に尊敬はしないけど、他人事みたいにすごーい!と思った。

私にとって私の人生は、今も、多分一生、私が主人公で、それ以外では絶対ない。子供がいたら、そいつが主人公になってしまう。だって私の親は私の教育において私を主人公にしていた気がする。生活を私に支配され、脇役になった。

これから歳を重ねれば私も、お前に主人公を譲ってもいいから生まれてきてほしいと子供に思えるようになる日が来るんだろうか。

非日常

代わり映えしない日常は穏やかで、安定は私の好みではあるのだが、時々、何か面白いこと起きねぇかなと思ったりもする。

空から女の子が降ってくるとか、突然アスファルトが地割れを起こすとか、前を歩いてる通行人の頭が弾けて寄生獣が飛び出してくるとか。

きっかけひとつで生活ががらっと変わってしまうような、ドキドキ感。

本当に不謹慎であることは自覚してるんだけど、最近、非常にドキドキすることがあった。ある授業が終わり、昼食を食べに食堂に移動しようとしていた時、その教室にいた一人の女が急に叫び声をあげたかと思うと、机に突っ伏して泣き始めた。

周りの人も先生もまじで訳がわからなそうで、近くにいた男子がひどく気まずそうに去っていくのを見た。

その時私はだいぶワクワクした。社会的な動物である我々人間、その中でもわりと教育された部類の大学生という存在が感情表現を人前で露わにする事そのものに非日常感があるし、人前で発狂しなくてはならなかった理由も、おそらくやんごとなきものだろう。

この文章だけ読んだら、もっと心配しろ、慰めようという気はないのか、などと思われるかもしれないが、私だって多少は心配している。でも、大学は広いので泣き出した彼女は完全に他人だ。道端で発狂してる人がいてもみんな通り過ぎるでしょ。

心配そうな顔と何があったのか野次馬したい顔を半分ずつ作った、他の人の波に乗って、私も似たような表情を作りながら普通に食堂に行った。

真相は知らない。

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