今日も今日とて

日記

友達が日記を書いていると言っていた。インターネットでつける日記っていいかも、と最近思っている。正直に気持ちを書きすぎると黒歴史にしかならないけど、嘘でもいいから、誰かに見られるかもという意識を少しだけでも持って書くと、現実味が薄れて良い。それじゃ、日記として意味あるのかと言われるとどうなのかはわからないけど、真実の濃度はどうあれ自分から生み出された文章なんだから、私をさらけ出していることには変わりないような気もする。人間、多少は自分をさらけ出した方が気楽に生きれるのかな。「どうせ見られるわけない」と、「誰かに見られてしまうかも」の両方の気持ちを持ちながら書いてるのは割とバランスがいい気がする。

最近考えたことでも書いていこうと思う。

7/11今年初めて蝉の声を聞いた。都会のショッピング施設にはやされている木から聞こえた。外に出て夏の匂いだ、と感じたのはしばらく前だけど、夏の音だ、と思ったのはこれが初めて。田舎の夏の方が好き。東京の夏は蒸し暑いばかりでイカれているから。

本を読むときって、自分の頭の中で、自分の声で音読する?それとも、他の人の声で(登場人物ごとに声をあてる)想像しながら読む?音声は思い浮かべずに文字だけをすらすら追う?私は、すごくのめり込んでる本の場合は、頭の中で、自分の声で読み上げてる気がする。あまり没入できてないときは文字だけすらすら読む感じ。教科書を読んでるときとか、論文、古典を読んでるときはあんまり音声が再生されない。他の人はどうなんだろ。あんまり趣味で本を読む人が周りにいないから、気になってはいるんだけど、あんまり聞いてみたことがないな、と最近思った。

アーティストのライブで没入感を得られるのって、会場の照明、ライトが自分に当たるかどうかで変わると思う。例え後ろの席でも、ライトが強烈に顔に差したら、その時は結構没入感があった。距離もだけど、光にも影響されてるんじゃないかと思う。

俗っぽい言葉で言えば「尊い」っていう感情、胸がきゅんってなるようなもの(多くはエンタメのメディアから)に触れたとき、手のひらと足の裏が痛くなるよね?え、これって私だけなのかな。思わずにやけるような尊いものを見たときって、手のひらと足の裏がじんじんする。急に血液集まるみたいな。誰か共感してくれる人、いないものかなあ。

最近、ウォッカとベルモットを買って、飲んでる。お察しのとおり、ウォッカ・マティーニを作りたかったんだけど、ウォッカ単体も、ベルモット単体も正直不味い!それらを混ぜて飲むなんて、初心者にはできようはずもないと判断し、一種類ずつ、大量のジュースで割って飲んでる。「かぁ~、不味ぃ~」と言いながらちびちびと。ウォッカはジュースに混ぜればおいしいような気もするけど、ベルモットは不味い。もうちょっと精神が大人になったらこれのおいしさがわかるようになるのか?まあ、苦いコーヒーもいつの間にか好きになってたし、子供のころ親の仇のように憎んでいたピーマンとも最近はうまくやってるし、そのうち舌が慣れる(or馬鹿になる)んだろう。オリーブまで買ったんだし(ガチすぎ)、せめて一回くらいはウォッカ・マティーニを味わってみるか……。

なんでほろよいとかその辺で売ってるおいしい発泡酒とかから手を出さなかったのかというと、ジュースと同じ味ならジュース飲めばいいじゃんと思うからです。だって、ほろよいってソフトドリンクとおんなじ味なんでしょ?わざわざアルコールとして飲むなら、それっぽい酒を飲んでみたいじゃないですか(酒イキリ)。別に酔っぱらっていい気分になりたいからアルコール飲料を飲んでるわけじゃなくて、私はできることなら何飲んでもシラフでいたいよ。酔っぱらうのは副作用というか、どうしてもついてきちゃう特性みたいなもんで、アルコールというものを味わいたいの。酔っぱらって恥ずかしいことをするのは、人のを見るだけで十分だ。かっこ悪いから酔いたくないね。

かなり昔に、元彼氏と深夜に未成年飲酒について討論を繰り広げたことがあったのを思い出した。ガチの深夜なのにめっちゃ語ってたな。たしかあっちは「友達が未成年飲酒をしてるのを見ると許せない」と言い出して、私はそれに対して「それはあなたの個人的な好みである」ことを主張して、彼がそれに対して反対して議論になった、気がする。

「肝臓の機能は19歳も20歳も変わらないよ」「法律は守るべき」

「外国なら法律違うけど。ここの法律に縛られないといけない理由は?」「定められたルールも守れないやつは嫌い」

「自分の体なんだ、どうなろうと勝手だと主張する人は?」「それは勝手にすればいい」

「明日、法律が変わったらどうするの」「

なんて言ってたかな、忘れちゃった。私は別に彼ほど強く反対も賛成もしない立場だったし、周りの18歳が飲んでても何も言わないし、自分は飲まない人だったから、彼のきっぱりした主張が盲信みたいで、おかしいような気がして、否定したくてやっきになった記憶がある。「飲んだって飲まなくたってどっちだっていい。自己責任で好きにすればいい」が当時も今も私の考え。「自分の考えは好きにすればいいが、他人に押し付けるのは違くない?」ちょっと危険思想に思われてしまうかもしれないけど、未成年飲酒を擁護したくてこの議論をしたわけじゃなくて、彼の思い込みみたいな頑固な考えを論破したかった。結局、私がなんか結果的に論破したっけ?気持ちよく寝たってことはたぶんそうだったのかな。

つまらないことを思い出した。今日はこの辺で。マジまとまりないな、この日記。

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