ヤンキーになれ

日記

大富豪

最近、友達が大学にトランプを持ってくるようになって、我々のグループ内ではにわかに大富豪のブームが来ている。空きコマに食堂で遊んでたら、「一限分ずっとやってたの」と他の友達から呆れられた。

大富豪は運ゲーと思っている人が世間にはいるようだから言っておくけど、あれは「運要素もある、頭脳ゲー」だ。どっちのカードを先に出すか、今までに場に出ているカードはなにか、相手の反応から何のカードを持っていそうか類推する。弱いカードしかないように見えても、ルール次第でいくらでもなんとかなる可能性がある。

いろんな地域出身の人とやってると、いろいろローカルルールがあって、なかなか面白い。

私が知ってるルールは、革命、階段、スぺ3返し、8切り、イレブンバックくらいだったんだけど、今私たちの間でルールとみなされてるのは、これに加えて、5スキップ、7渡し、10捨て、12ボンバー、2やジョーカー(革命時は3)で上がるの禁止、マーク縛り、階段縛りが採用されている。

ルールが多くて最初は何が何やらわからなかったけど、ちょっとやると、面白さが増えてる実感があってとても良い。個人的に7に能力を持たせるかどうかで作戦の立て方がずいぶん変わるような気がしている。

暇なら学問をやれ

葬送のフリーレンが最近アニメになった。にわかに思われるのは嫌だから言っておくけど、漫画の一巻出たときから読んでる。

漫画でストーリー知ってるし、アニメは別にいいかな、と無駄に意地を張って漫画古参を気取っていたけど、暇だったので結局見てしまった。あの空気感が好きなんだよね。

フリーレンはくそ長い人生の時間を使って、くだらない魔法を趣味で集めるけど、それを見てて、やっぱり人生をささげて没頭できるものって学問をおいて他にないんだなって思った。魔法の場合、力に直結するけど、現実の私たちの学問だってそこまではいかないものの、人生の力に大きくつながりはすると思う。

ヤンキーの心が足らない

私の英語の先生は、授業スタイルが特徴的なおばさんなんだけど、どうも私と肌が合わないのか、現在の私の立派なストレッサーとなっている。

いけ好かないな、と思いながらムスッとして授業を受けているんだけど、授業終わりに笑顔でおばさんと雑談しに向かっていく子を見かけてなんだか大きな差を実感した。

その子がおばさんと波長が合って、おばさんの授業が好きなのかもしれないし、好きじゃないけど打算的にポイントを稼いでいるのかもしれない。どちらが真実なのか私には判断できないが、どちらにせよ、私よりもその子の方が圧倒的に何か「持ってる」。多分それは生きる力とか、そういうものだと思った。

私は嫌な奴に出会った時、できるだけ相手にしなくても済むように、自分から関わらないように注意する。生きていくのにたくさんの人に出会うんだから、気に入らないやつに時間をかけるのはもったいない。そう思ってそういう方針を取ってきた。

でもたぶん、おばさんに話しかけに言ってる子は根本から違うんだ。

まず、その子がおばさんを純粋に好きな場合。嫌いなものが少ないというのは大きなアドだ。どう考えても、嫌いなものは少ない方がいい。それが、しばらくの間、どうしても一緒にいなければならない人、どうしてもやらねばならないことの場合、なおさらだ。他の人、物を観察して、好きなポイントを見つけられるってことなのかも。最初の印象で決めつけるのは嫌い、とかいつも思ってるくせに、嫌いだ、と思ったものはすぐに視界から外そうとする私の行動を少し省みることになった。

次に、その子が打算的におばさんに近づいている場合。これも相当尊敬できる。嫌な奴でも、付き合っているとメリットがあることもある。私は未来の私よりも今の私のほうがかわいいから、そんな計画的なことはあまりできないのだが、先々を見据えて、愛想を振りまいておく力は皮肉じゃなく、本当にすごいと思う。

こういうわけで、どちらにせよ私はその子の生きる力みたいなものを間近で見せつけられて、「大人だな」と思わされたし、同時に自分のガキ臭さを指摘されたようにも思えた(被害妄想甚だしい)。私は嫌いな人というのがあんまりいないように感じていたし、相当なことがない限り人を嫌わない性格かと自己分析していたけれど、それは間違いで、ただ単に、「あ、嫌いになりそう」と思った人を人生から排除して見ないようにしていただけだったようだ。もう少し大人な性格になればいいものを。

厄介なことに私は、嫌いな奴と関わることは嫌なのに、嫌いな奴から怒られたり、嫌われたりするのは極端に恐れる。どんなに嫌な先生からでも嫌われたくないのだ。いい子に見られたいと思ってしまう。いや、違うな。あんまり反抗的な態度を取って、その嫌いな人の脳内に私の印象を大きく残したくないと思って、無意識に目立たないいい子に擬態しようとする。腹の中では文句言ってるのに。だせぇー。

嫌いな奴のことなんか気にせず、私が嫌うんだから、相手も私のこと嫌ってもらって上等!という感じでのびのびと生きれたらいいのにと思っている。

ヤンキーの心が足らない。ヤンキーの心よ、私に生きていく力をくれ。

思い出?

高校2年に上がる時、一番の友達が、新しいスケジュール帳を買って、私に見せてきた。

私とその友達は、青春謳歌を目標に掲げ、それを共有していた。JKなんだから冬もぎりぎりまで生足を出すこと、班活も塾の勉強も全力でやること、電車の中では単語帳を読み、聞かなくてもわかる授業では全力で内職をし、文化祭は全力で楽しみ、カラオケとか遊びも全力でやること、そんな暗黙の絆みたいなものがあったと思う。

彼女はスケ帳の後ろの方の線の入っていないフリーのページを私に差し出して、「ここに、『ヤンキーになれ!!』って書いて」と要求してきた。どうやら彼女はヤンキーの精神を目指していたようだ。私はその時、ああ、確かに私が目指してるのもヤンキーの精神かもな、と納得して、マッキーペンででかく書いてあげた気がする。そのページは新年の書初め、今年の目標のようにスケ帳に残った。

私たちがここで共有していたヤンキーについての認識はたぶん、周りのことは多少無視しても楽しいことを全力でやろう、みたいな感じだったと思う。授業をしてる国語の先生にジトっとした目で見られても堂々と数学のチャートを解くみたいな、強い心。時間をやりくりして、正気だったら絶対にねじ込まないようなハードスケジュールの中でディズニーランドに行くみたいな、なんでもできる全能感。

そういうヤンキーの精神を目指してたんだと思う。

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