タイトルに意味なんか無いから

日記

便宜上、私の初恋はインディージョーンズということになっている。

久しぶりの早朝

明け方まで電話をしていた。最近おかしいんだ。

この日記で書いてしまうこともできるのかもしれない。でも今は、いやたぶんずっとしばらくは書けない。文字に、文章に昇華することができないから。私は所詮、自分が自分の中で飲み込み終わったもの、すなわち過去のことしか描けない。自分の中で飲み込めないことを言葉にすることはできない。

ただ、今わかるのは、ただただ自分がヘタレであり、かっこ悪くて、キモイことである。直したいし、磨きたいけど、何をがんばったらいいかも知らない。

この感情のことを、私はまだよく知らない。だって、初めて会ったから。

振り向いてもらうことが望み薄なら、前を走って視界に入り込むことしか道はない。

気に入った人間は今まで何人もいたけれど、そういうのじゃない気がする。どうしよう、今、狂っちゃってるかな。システムエラーでバグってる感じ。リソースがそればっかりだ。とうとう、ある感情についてインストールが始まったのかもしれない。同年代の人に比べて、私は相当遅れていたんだな、だいぶガキだったな、と思った。

イエロー・クリスマス

東京のクリスマスというのは、銀杏が紅葉している。今、並木の通りを歩くと、足元が一面黄色いじゅうたんみたいになっている。もちろん、雪なんか降らない。

地球温暖化なのかなあ、と去年のイエロー・クリスマスにぼんやり思った気がする。今年もたぶんそう。

雪も降らないし、東京は、冬は暖かくて暮らしやすい都市だ。でも、私はホワイト・クリスマスや雪の降る前の空気の匂いがかなり好きだったりする。

どうせ誰も読まない、は言い訳

最近のXで流れてきた言葉の中で、はっとさせられるものに出会った。インターネットに何かを残す場合、「どうせ」とか「たぶん」とかそういう感情で、独りよがりなことを書くな、みたいなことだった。

まあ、インターネットはそもそもどの記事だろうが、どの文字だろうが他人がつながることができるネットワークであるので、人として当然のマナーであることは言うまでもないけれど、なんか再認識させてもらった気がした。

悪口は本人になら言ったっていい。でも、本人以外の人に陰で言うくらいなら一生言わないか、言わないで心の中に閉じ込めて置いたうちに、いつのまにか発酵して芸術になったものを言うのがいい。皮肉を使って陰口を昇華させたら、それは芸術になる。センスのいい皮肉なら吐いてもいいよ、とそう思っている。

センスのない皮肉、下手くそな言葉は陰口なので、罰としていじめられるなり忘れられるなりなんなりすればいい。

反省したのでこれからは「どうせ誰も読まない」と言い訳するのはもうやめる。センスのいい人間になりたい。パスワードを突破して今この記事を読んでいるあなた、反論があったら、最高のセンスで私をぎゃふんと言わせてくれよ。

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