改札機の人油がついたとこをあんまり触りたくない。パスケースはたぶん、スマホと同じくらい汚いよ。つまり、トイレの床より汚いと思う。
好きなボカロ見つけた
最近、YouTubeのオススメ性能が向上しすぎたせいで、私が好きそうなやつを提示してはくれるけど、気分を変えたい時とか、世間一般で流行っているものを知りたい時にてんで役に立たない。
好きな曲ばかりを聞いてるけど、最近Twitter(自称X)で紹介されてたボカロをYouTubeに聞きに行ったらなかなか刺さった。
ソノダさんの『月と踊子』
私が見つけた時、再掲数4桁もいかないくらいだったけど、好みだった。
聞いてるうちに、私はどこかナブナさんの初期のころのボカロと似ているところを探してることに気づいた。
私は音楽のことは何も分からないから感覚的になんか似てる、としか言えないけれど、雰囲気でわかる。雰囲気でしかわからない。
きっと中学生くらいから私の好みというものはとっくに完成されていて、変わっていないんだろう。私は好きなものの似ているものを探しているだけ。
自分の中に答えが存在していて、世界からその答えにあってるものを見つけ出す生き方ってなんか切ないような気がするな。物語とかで、そういう生き方しかできない登場人物はだいたい理想に狂って死んでいきがちな気がする。
車運転した
実家で車を運転させてもらう機会があった。私はペーパードライバーなので、母の軽を借り、1日自動車保険に入って、車の前後に若葉マークを貼り付けてビクビクしながら運転席に乗り込んだ。
免許取ったのは2年前の夏なので、車の基本的な操作も怪しい。つくづくこんなやつがその他多くのベテランドライバーさんに混じって公道を走るのかと思うと、早急に排除すべき社会の危険因子になった気分になる。
もちろん一人だとどんな恐ろしいことを起こすかわからないので、助手席には父が同乗。生きた心地がしなかっただろうけど、見守ってくれてありがたかった。
小一時間ほど人通りのない田舎道をノロノロ走ると、なんとなく勘を取り戻した。疲れた。
次車を運転しなきゃならないのがいつかわからないが、おそらくかなり先の未来になるだろうから、今回思い出したこともまた忘れるんだろう。
都会に住んでるうちは車なんか乗れなくてもいい。ドライブの楽しさはマリオカートで味わえる分だけで十分。乗るとしたら、街にゾンビが攻めてきて、車で逃げたい時くらいかな。その時にはまごつかずに運転できるくらいの技量でいたいよね。
紅茶がこんなに高い
レストランで働いていると、裏の事情がわかってくる。
こういうことをクリティカルに言うと契約違反になりかねないからぼかすけれど、スーパーでよく見る紅茶が、ちゃんとしたカップに入れられた瞬間、恐ろしい付加価値を得る瞬間を目の当たりにした。
経済が回っている。
場所代としての意味もあるのかもしれないけど、この紅茶が800円!と半ば呆れながら提供している。
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