もう4月!

日記

春が少し苦手です。

クッキー作った

ヒマだったので妹の家に行った。百均でたまたま見つけた、鳥獣戯画のかけっこをしている兎と蛙のクッキー型が家にあったので、クッキーを作ろうという流れになった。

他に可愛くてオーソドックスな型抜きも当然売ってはいたんだけど、兎と蛙の謎の引力によって、鳥獣戯画の方を買ってしまった。昔から愛されてる漫画だし、キャラクターとして可愛いのは言うまでもないか。

3種類の材料だけでできる、一番シンプルで楽そうなレシピをクックパッドで調べ、ついでにキャンディーを溶かしてステンドグラス風のやつも作ることにした。これはノリと勢い。

小麦粉と砂糖を大量のマーガリンでつなぎ止めるみたいなレシピだったし、粉の計量もガバかったので、生地はまあポロポロ崩れる。型が全然抜けなくて、謎にツボに入った。牛乳を追加して作業してるとこが洪水みたいになるし、2人してグチョグチョしたもので手を汚しながらこねてるのが、在りし日の泥団子制作を想起させる。しばらくぶりに笑いすぎて声が出ない状態を味わった。大学生が2人集まってやることが、泥遊びじみた工作とは。

ステンドグラスクッキーのためには飴を砕いて、焼く前のクッキーの穴に入れとかないといけないんだけど、妹の家には棍棒とか綿棒すら無かったため、我々はレンジで加熱して融かした飴を穴に流し入れて固めよう!という作戦を決行した。

様子を見ながら加熱するけど、なかなか飴は融けない。やっと融けた、と思って机に運ぶけど、その頃にはドロドロは失われていて、金太郎飴工場で見るやつみたいに細く伸びるばかり。

結局小学生の工作並みのお粗末なクッキーを画像加工して美味そうに見える写真を取って終わった。今の世は虚構に価値がつく。なんてことない思い出でも電波を通して美しそうに見せられればそれでOK。

雨の日のクリームソーダ

少し前、金沢に遊びに行った時に三軒茶屋街へ行った。3月だったけど、雨が降っていて、風がめちゃくちゃ冷たかった。

観光地なので、カッパや、厚手のウインドブレーカーを着た外国人がたくさんいる。せっかく金沢来たし、三軒茶屋にどうしても行きたかったので、クソ寒ーと思いながら行った。運が悪い。

三軒茶屋街にはたくさんモダンなカフェがあって、そのひとつの、大正ロマン風なお店に入った。

レコードプレーヤーや、昔の電話、色とりどりのランプシェード、大正ロマン風の衣装の店員さんなど、雰囲気がすごく素敵だった。

メニューには書いていなかったけれど、調べてみるとその店は、雨の日限定のクリームソーダがあるらしい。バタフライピーを使っていて、青紫色のサイダーが、レモン汁できれいな赤紫に変わる。

注文してみると、きれいなクリームソーダが出てきた。私はクリームソーダが好き。見た目かな?透き通る感じ?アイスクリームが好きなのかも。

雨の日も悪くないじゃん、とその日初めて思えた。

雨の日限定のサービスっていいよね。

羽根ペンもらった

サークルの催し事の景品で、鳥の羽がついてるボールペンをもらった。

ハリーポッターの映画で、ハリーたちが課題をやるのに使ってるような、あれ。

弓道関連の催しだったので、たぶん弓具店に売ってるアイテムなんだろうけど、あまりにも異世界の雰囲気すぎる。

どこで使うんだよこんなもん、と思う感情と同じくらい、うひゃーかっけーアチィー!と思う感情もあり、感情が拮抗して真顔になった。

今は家の棚に飾ってある。私はミニマリストという程ではないけど、部屋に物をいたずらに増やしたくないタイプだ。でも、謎で無駄で、ちょっと面白いアイテムを集めるというのはいいことだ。

深夜会話

私は時々夜中に他人と電話をするのが好きなんだけど、かなり前に知り合ったおじさんがふらっとかけてきたので、適当に話しをした。

年齢のせいか、置かれる環境のせいか分からないけど、お互いの共通項も話術も、話を続けようと言う意識も無さ過ぎて、その時間はまあつまらない。

断ってもいいけど、断る理由を思いつくことができなかったので電話を取ってみたが、驚くべきことに向こうも別に話したい話題が無いらしい。ワオ、アンビリーバボー!

その上、酒に酔っているときにまた連絡してきてもいいかと聞かれ、こいつは何を言っているんだ、とめちゃくちゃ草が生えた。酔っ払いのおじさんに絡まれるこっちの気持ちにもなってくれよ。おもしれーやつ。

その人と話が通じないなーと思う瞬間があるけど、つまらなく感じる本質は別のところにあるんじゃないかなと思う。別にたとえ話がピンと来なくても、知ってる語彙が少なくても構わないけど、ただ電話していることが楽しいと言い張って、話題を深める何かが足らない気がする。こっちはつまんないんだわ。私が暇人だからいいけど、タイムイズマネーを体現してる人なら、それは時間の搾取だね。私が話を面白くする努力をしていないのもあるけど、向こうが努力しないのに対してアンフェアな気がして、努力する気にならない。

私は自分がそこまで賢者だとは思っていないけれど、日本人全体で見たときの偏差値はそこそこあるとうぬぼれた自己判断をしている。私より教養があって頭の回転が速いな、と思う人と話している時、わりとワクワクしている。

会話に皮肉を織り交ぜられる人って言うのはなかなか地頭がいいんじゃないかと思っていて、皮肉屋が好きなんじゃないけど、皮肉を理解できる人を尊敬してる。嫌だと思うことをそのまま言ったら悪口だけど、ユーモアとウィットを混ぜれば皮肉になる。冷静にバカにするというか、一段上空からものを見ている感じになる気がしている。みんな皮肉がわかるようになったらいいのになー(これも皮肉)。

「好きなものを教えて」は相手によっては失礼

「あなたの好きなアーティストをリスト化して教えて」、と言われたらどんな印象を受ける?

「よっしゃ私のお気に入りをこいつに布教できるチャンスだ!好きなポイントを語りつくすぞ!」と息巻く人もいると思うんだけど、それは相手をどのように想定した時だろう。学校でよく顔を合わせる友達?世界で一番大切な恋人?

そういう人からリストの共有を求められる時、人は布教オタクになる。「リストの共有はたぶん、私の好みを知ることで、私のことをもっと知りたいという前向きな興味を向けられているんだろうな」、と感じるからだ。

でもその相手が、音楽に全く興味の無い人だったら?イヤホンも持ってない、音を出したら怒られるマンションに住んでいる、そもそも耳が遠い、とかそういう人からの質問だったら?

まず布教の可能性はない。普段の語りたい欲を発散させて、好きなポイントを語りつくすチャンスではあるけど、果たしてその人に話すことは楽しいことなのかな?「どうせ聞かないくせに」、と思ってしまうと、語る行為が虚しくなる。こっちの情熱を理解できないので、相手は、「機会があったら聞いてみるよ」、というスタンスで私の前にいる。「君のプレゼン次第で興味が持てたら聞いてやってもいいよ」という謎に高慢な態度で挑まれるんだ。これは私にとって最悪だ。

好きな曲に出会うためには、その周辺のまあまあ好きな曲、聞いてみたがそこまで刺さらなかった曲、全然好きじゃない曲など、たくさんの曲を聞いてみることがどうしても必要で、それはサンクコストだ。お気に入りの曲というのは、時間やこれまでの自分の好みを形作る包括的な人生経験というコストを割いて、やっと見つける、財産みたいなものと思っている。決して流行りのヒット曲だけを追っていても、本当のお気に入りリストは作れない。

大切な財産を教えるのは、宝のありかを地図に印をつけてあげる行為に近い。

さて、ここで語る相手について考えよう。相手が友達や愛する恋人なら、よろこんで教えたくなるはずだ。だって、私の財産は私の人生経験とか好みを煮詰めたようなものだから。財産の位置を教えることで私のことをもっと知ってもらえる。自分のことを知りたいと思ってもらえることは多くの人間にとって喜びなんじゃないかな。自分に向けられる興味への喜び=今まで払ってきたコスト、の等式が成り立つ時、財産の場所を教えたくもなるさ。

一方、「君のプレゼンをしてもらって構わない」と構えている人に、そうやすやすと財産の位置を教えたくなるだろうか。そんなの宝の持ち逃げじゃないか?こちらの今までのコストを考えると、どうも教える気になれない。その人も、ある意味私に興味を向けているのかもしれないけど、その人の中で、宝のありかへの興味と、私に向けている興味が一致していない印象を受ける。宝が私というものを煮詰めたようなものだという意識が根本的に足りていない。

手っ取り早く表面だけ理解しようとしている。それが透けて見える。だから失礼なんだ。

私そのものに本当に興味を向けるのならば、宝そのものへの興味も深く持っていなければおかしい。宝に興味なくて、私にのみ興味がある、と言うのはまったくおかしいことに気付いて欲しい。

例えば、大工の職人が、たんなるバイトに建築の妙を教えたいと思うかな。工芸品職人が、修学旅行生に長年培ってきたコツやテクニックを教えるかな。職人はちょっとやったくらいじゃわからない、その仕事の奥深さや美しさに惚れこんで、その仕事を大切に思っているはず。財産に対する興味が違いすぎるの。

わからないかなあ。

また夢の話だよ、と思われるかもしれないけど、私は夢が映画くらい好きだ。夢ニアリーイコール映画くらい思ってる。地産地消の映画。

最近のはっきり覚えてる夢その1。

私は一日で記憶を失う設定らしい。

毎日それに気づいて絶望し、また、家族を絶望させていた。雨の中庭に出たり、薬を飲んだり、傘を落とす。ここの部分は、夢だからかあんまり覚えてない。

私はそれに気づく。

目を開けると空が見えて、家族の顔が見れる。海辺のどこかに寝転んで、顔を覗き込まれている。

体は動かなくて、メッセージとかないけど、私は昨日の記憶が無いこと、もう死ぬことをそこで悟る。

目を開けた私の顔に近づいて、家族が一言一言私に何か言う。愛してる、ありがとうとかじゃなくて、なんか、短い言葉を言う。穏やかな笑顔で。

私は小さく声が出るから、短い言葉を返す。両親じゃなくて、妹たちの方がたくさんの言葉を言ってくれる。

やがて、耐えられなくなってきて、私は泣いてもいいんだよと言う。大粒の涙が溢れてるのを見る。まだ動く指で拭う。

両親がそばに来ないことで泣いてるんだということがわかる。そばに来ないことを私はありがたく思う。

涙で呼吸が荒くなって、肺が上下する。自然と嫌だと思う。何が?死ぬのがかな?いや、家族が泣いてる今かな?

ピアスに生暖かいものが触れて私は本当に目を開ける。似た映画があったな、と思う。今夜、世界からこの恋が消えても。映画と違うのは、自分の視点なところ。

夢で泣いてて、起きた時涙が出てたの初めて。

夢その2。

学校で、具合が悪くて最近休んでいた。その間、給食メニューを紙に書き写す仕事をしていた。食堂に書き上がったプリントを提出しに行かないと。

変な家に一人で行き、部屋から出るとリビングにちょっと怖いお兄さん集団がいて、怖くなって裸足で雪の中逃げ出す。逃げてるのは私だけじゃなくて、同じように一人でオカルトスポットを見に来た若い人もいたので、その人たちと逃げる。

神社を通る。犬を連れたおばさんがいて、犬にじゃれつかれ、何故か持ってた雑巾を離してくれなかったので、離してもらうためにその辺の汚い空き瓶を使ってマジックというか、ギャグネタを披露。「こうしてラベルを剥いで、逆さまにすると、よく見てね、これを家に持ち帰ってよく洗うと、きれいな水、クリアウォーターが飲めます!」

街に着いた。渋谷だとなぜかわかる。駅を探してると、ラリった若者が道に並んでモクを吸っている。変な匂いと怖い雰囲気に怯える。

細くてギラギラした通路に迷い込み、クスリの売人の怖そうな人と顔を合わせないようにジグザグ歩いてると、制服の女の子が溜まっている広場に出る。なぜか知り合いのAとHがいて、安心して手を取る。近くにイオンがあるらしいので、そこへ手を繋いで向かうことになった。

ショッピングモールに入るエスカレーターに乗ると、反対側の階段で1人の従業員っぽい人が倒れる。病気だろうかと思って心配したのもつかの間、その人はガンギマリの目を見開いて奇声を上げる。

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